2012年11月2日山形:天童の乳児死亡裁判家族の苦悩(続報)
天童の乳児死亡:きょう5年 真相解明したい 原因は不明のまま、苦しみ続ける遺族
毎日新聞 2012年11月2日(金)11時39分配信
07年に天童市の認可外保育施設「みんなのベビーホーム」(既に閉鎖)で生後4カ月の女児、沼沢悠妃(ゆうひ)ちゃんがうつぶせ寝状態で死亡してから2日で5年を迎えた。死因は「乳幼児突然死症候群(SIDS)」と「窒息死」の二つで揺れ続けたが不明のまま。「なぜ悠妃は死んだのか」。遺族は5年たった今も答えを探し苦しみ続けている。【鈴木健太】
預けて2日目だった。07年11月2日の昼過ぎ、東根市の実家に当時住んでいた母、後藤春香さん(29)=現東京都、会社員=と、祖母、澄子さん(53)=同市、主婦=に施設から突然電話があった。「具合が悪くなり、救急車で病院に運びました」。春香さんと澄子さんはオムツやミルクを慌てて用意し、県立中央病院に向かった。祖父、健さん(62)=同市、会社員=も寒河江市の職場から急行した。
「今、処置をしています。待合室で」。看護師に言われた。「なぜ処置室なの」。澄子さんは疑問を抱いた。具合が悪くなったと聞き、風邪をひいたぐらいに思っていた。ひどく動揺し、何分待ったか覚えていない。やがて処置室に案内されると、人工呼吸器を付けた悠妃ちゃんが横たわっていた。唇は真紫色。冷たい体を何度もさすった。だが息を吹き返さなかった。春香さんはぼうぜんと立ち尽くした。
4カ月前の同年6月27日、市立天童市民病院で悠妃ちゃんは誕生した。健さんは初孫の表情をまじまじ見つめた。「どこか自分に似ている」。春香さんが生まれた時も自分の顔にそっくりだったと思い出した。「大きくなったらどんなお洋服を着せよう」。澄子さんは小さな女の子の成長に胸を膨らませた。
悠妃ちゃんの死後、家からは笑顔が消えた。特に春香さんは様子が一変した。夜になると、飲ませる子はいないのにミルクを作ったり、肌着を抱いて一晩中すすり泣いたり--。「そんな様子が半年ぐらい続いた。私もどう接すればよいか分からなくて」。健さんは振り返る。
県警は10年1月、うつぶせ寝による窒息死の疑いが強いとして、当時の園長と保育士2人の計3人を業務上過失致死容疑で書類送検した。しかし山形地検は11年4月、「SIDSの可能性も捨てきれず過失は問えない」とし、3人を容疑不十分で不起訴処分とした。健さんら一家3人は、元園長と保育士の計3人、天童市、県を相手取り、損害賠償訴訟に踏み切った。現在も係争中だ。
10月23日には元園長と保育士計3人の本人尋問があった。事故当時や施設運営を巡る3人の説明はことごとく食い違った。健さんは「なぜ悠妃は死んだのか。真相を解明したい」と訴える。また「同様の保育事故は全国で相次いでいる。訴訟を通じうつぶせ寝の危険性を社会に改めて訴えたい」と語気を強めた。
11月2日朝刊